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お買い物

 

私は口紅のキャップを開けた。

 

道に迷ってしまったのか、見覚えのない場所にいた。
案内所の女性に声をかける。

 

「野菜を買いに来たわけです。」
「野菜を。」
「ええ、炒めものでも食べようかと。」
「ですがこちらは東口。デパートその他はございません。」
「いいえ来たのは西口。確かに間違いありません。」
「ですがこちらは東口。事実ですから仕方ありません。」
「そのようなものですか。」
「はい。」

「どれくらい食べるんですか。」
「どれくらい食べるんでしょう。」
彼女は机から野菜のパックを取り出すと、封を開ける。
ピーマンの先端を手で千切ると、それと私の指先を比較する。
「これくらいでしょうか。」
「どれくらいでしょう。」
「これくらいでしょう。」
ピーマンの種がこぼれて、机じゅうに白い斑点が彩られる。

 

「その野菜のパックを売っていただけませんか。」
「構いませんが、少し困ります。」
「なぜですか。」
「私の夕食のつもりでしたから。」

結局、パックを売ってもらうことになった。


「しかし、あなたともあろう者がミスをするなんて。」
「お会いしたことがありましたかしら。」
「ない、というほうが適切かしら。」
「そんなに私は有名かしら。」
「私だから知ってるのかしら。」
「あらまあ。」
「そっくり。」
帽子をとった彼女の顔は、私と同じだった。

 

「それで、どちらへ。」
「西口へ。」
「買い物は終わったのに。」
「それなのに。」
彼女に背を向けて、西口へ向かう。
途中のショーウインドウに目を奪われる。

 

かつーん、という音がして鏡台の上の口紅が倒れる。
ぼうっとしていた私は、口紅のキャップをしめて顔を上げる。
鏡に映った私は、夕食の具材を取り上げられたような顔をしている。
出かける直前、机の上に野菜のパックがあったのを気付く。
消費期限が迫っていたので、今晩はそれを炒めて食べることにした。

 

私は袋の封を開けた。

 

ピーマンが一つ、少なかった。

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