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血染めの手記

 

なので、私は食べることにした。

父は物理学の権威と言われる科学者であり、母は言語学の教授。
そんな二人から生まれた私は、自分で言うのもなんだけど、小賢しい子供だった。
友達は一人二人程度だったし、その子達も私を利用するために付き合っていたと思う。
実際そうなのだろう。環境が変われば縁がすぐに切れてしまった。
だからまともな人間関係なんて、私にはこれから先もないんだろう。
そう思っていた。

あの人に会うまでは。

彼が私に声をかけたのは、入学してすぐの語学のクラスでのこと。
グループワークで近くになり、簡単な会話をした。
彼は笑顔だったが、私はおそるおそる話していた。
その後も彼はよく私に遊びの誘いをしてくれた。
彼がいなかったらクラスのコンパにも行かなかっただろうし、大学でも一人だったと思う。
ふたりきりで食事にも行った。段々打ち解けていき、本音で彼と話せるようになっていった。

ある日、口論になった。学問的な議題だったと思う。
その内容は覚えていないが、あの時のように必死に議論したのは初めてだったと思う。
私は持っていた知識を全て活用し、彼を打ち負かした。
やってしまった・・・。と思った。
今まで離れていった人間は、私のそのような面を嫌っていた。
学習しないという意味では、私は本当に馬鹿なのだ。
彼もそうして私から離れていくのだろう。そう思って彼の方を見た。
彼の顔に浮かんでいたのは、少年のような笑顔だった。
まるで憧れるような表情で私を見つめ、私の手をテーブル越しに握った。
私達が恋人同士になるまでは、それほどの時間を必要としなかった。

二人共初めて同士だったから、緊張して私は痛みしかなかった。
あの人にしたってそうだろう。行為が終わるまで必死な表情をしていた。
その後はずっと、大学生・・・いや、人らしい、爛れた関係が続いた。
とても、私は幸せだったのだろう。

ある日、突然の吐き気が私を襲った。
まさか・・・。
その予感は的中し、検査薬に描かれる縦の一本線が新しい生命の誕生を告げていた。

それからは修羅場だった。
お互いへの両親への説明は難航を極め、私の家に行った時は彼の顔に痣ができた。
だが、最終的には子供を産むことを許してくれた。
諸々の手続きを終え、二人の生活が始まった。
彼は大学に通いながら、通院の送り迎えなど、私の面倒を見てくれた。
本当に嬉しかった。

産婦人科の待合で診察を待つ。病室から出てくる男性の姿。
彼は確か、小堺さんのご主人。小堺さんは最近男の子を産んだそうだ。
そんな彼が、小さな袋を持って出て行くのが見えた。
そのことを妙に思いながらも、私は呼び出しを受けて病室に入る。
「経過は順調ですよ。」
医師はにこやかに微笑みながら私にそう言う。
「ストレスとか、強い衝撃には気をつけてくださいね。」
私は先ほどの小堺さんの荷物について聞いてみることにした。
「ああ・・・あれですか・・・」
医師は難しそうな顔をして、答えようとしなかった。
不審に思いながらも診察を終え、家路につこうとすると、先ほど傍らにいた看護師がこっそりと耳打ちする。
「あれは胎盤です。本当は廃棄しなきゃいけないんですけど、滋養があるので持って帰りたいという方も多いんです。」
そうなのか、と聞き流していると電話が鳴った。
あの人との思い出が詰まった、大事な携帯だ。
その着信から伝えられた情報は、私を動揺させるに足るものだった。
私は通りかかったタクシーを拾い、教えてもらった場所へ向かった。

それは、炎上していたであろう鉄の塊だった。熱でひしゃげ、変形していた。
その物体の先にはもうひとつの同じような塊。
これが交通事故であることは明らかだった。
焼け焦げた何かが2つの物体の中から搬出されてくる。
あのシャツ、あのズボン。そして愛しいあの体。
地面が急に近づいてきた。
私は前のめりに倒れている。そう気付く前に私は意識を失った。

次に目覚めた時、私は病室にいた。
医師はお腹の中の子が、衝撃とストレスによって流れてしまったことを告げた。
その後しばらく記憶が無い。
また次に目覚めた時、あの看護師がいた。
そういえば・・・私は思い出す。
「すいません」
私の目から何かが溢れているが、気にせず続けた。
「私の胎盤って、まだあります?」

調理方法はいろいろ調べた。
砂肝のような食感なので、焼くのがベストとのことだった。
しかし、ここは病室であり何も火種がない。
仕方ない、と思いつつ、私はそれが自然ではないかと確信していた。
二人の愛によって生じたもの。片方は失われてしまったが、もう片方は今眼前にある。

なので、私は食べることにした。

生のままで。

退院してしばらく経った。
あの人は、忙しいらしく、たまに私の前に現れては消えていく。
でも、確かにあの人の愛を感じているのだ。
初めての子供は流れてしまったけど、彼との愛があればすぐに二人目ができるはず。
私は微笑む。
あの人が帰ってくるまでに体を健康にしなきゃ。そのためには、

さあ、食材を取りに行こう。

 

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